京都から東京、インドから日本まで、どこに居ても受けられる完全個人レッスン制のオンラインヒンディー語教室です。

11.21.2015

言葉と付き合う1000時間

新しい言語を学び始めて、「あ、私なんかキテる。。。」と思うまでにかかる時間。

1000時間。

長いような、短いような、
ある有名な統計データです。

うーん、どうかなどうかな、と思って色々調べてみました。
みんな中高で6年も英語勉強してるのに、と思ってるはずだから。

2400時間、3000時間、4000時間。
いろいろありました。

私の経験では「文法が似ているかどうか」というのは大きな差だと思う。
英語や中国語、ラテン系言語といろいろあるけれど、残念ながらどれも日本語の文法とは全然違うので、時間がかかって当然。


最近生徒さんによく話します。
言葉は、お勉強ではないということ。

わー今日も日本語のお勉強だわ、とか思いながら日々を過ごす幼い子供はいないはず、
と信じたい…


言葉というのはただの、練習です。
でもそれが「ただの」でないことくらいはみんなわかると思うけれど、
子供この頃ピアノもギターも猛烈に練習した、サッカー毎日した、そろばんした、バットの素振り何百回した!!
という、そういう類のもの。

だから何年ブランクがあっても、またなんとなくできてしまう。
それが練習して体が覚えた証拠。
フル回転の脳みそと体の隅々、あなたが知らない小さな筋肉や関節が代わりにしてくれた、半永久的な記憶。


例えば半永久的でない記憶といえば、
毎日毎日いろんな役をこなす俳優さんたち。
彼らの記憶は、ちょっと言語のそれと違う。

その数時間の撮影が終わって美味しいご飯を食べてプハッと飲んだら、きっとセリフは忘れてしまう。
台本にある何百ものページを何冊も死ぬまで覚えている人は、まずいないだろうな〜。


半永久的な記憶を得るにはもう、練習するしかないのです。
むしろ気軽に練習さえすれば良い。
特別なお勉強方法もない。
あえて言うなら、

◎何度も何度も言いたいことを反復する(机に向かうだけじゃダメ。妄想しないと!)。
◎日常の中にその言葉がいつも住んでる(ふとした時、あ〜これなんていうのかなって考える)。
◎自分を知る。

たぶん最後が一番大事。
あなたが言いたいこと、あなたが話したい人、あなたが興味のあること、
それはあなたしか知らないから。自分を観察して、自分を省みて知る。
誰か知らない人のことを理解するより、ずっと簡単。
自分はいつも、目の前にいる。

自分が知りたいこと、自分が伝えたいこと、何よりもそれを知らないといけない。
言葉なんて、ただのツールに過ぎないから。

同じ言語を話す人だって、興味のあることが違ったり見ている世界が違うと全然話合わない…と思うのと同じ。

誰と何を話したいのか、どんな話を聞きたいのか、
それをよく吟味して反復する文章や単語を絞れば、必要なものは自ずと浮かんでくるはずなのです。


さてここで朗報です。
ヒンディー語と日本語は、言語体系が違うのにとっても文法が似ています。

経験上、日本人にとってのヒンディー語習得までの時間(ある程度聞き取れて簡単な話ができる)はズバリ、

やっぱり1000時間!!!


みんなこれ目指して、頑張りましょね。
自分が1日にどれくらいそれに時間を費やしてるか思い出して、ちょっと計算してみてください。
あと、どれくらいかかるかな・・・・


それでもやっぱり気になる3つの◎、あえてのお勉強方法についてはまた今度、書いてみますよ❤︎

10.01.2015

facebookのページ、作りました。

 インドに着いたらさくさくいろんなこと、書いてみたいと思っている、はず…。 

外国語、お勉強しはじめてもう20年以上。
30歳も過ぎればきっと、みんなそんなもの。

なんで英語、しゃべれないのと思ってる人、きっと多いよね。
理由があるから、なんで?には、理由があります。

言葉に才能とか、ないから。
ないの。

みんな日本語、話せるし。


日本に居ながら学ぶのは、確かに時間がかかる。
インドに居れば、眠ってる時間以外ずっと言葉のこと考えていられるけど、日本ではそういうわけにはいかないもの。
やることいろいろ、あるしね。大人ですし。。。

ある一定の時間が必要なのですって。
外国語を学ぼうとして、「あれ、なんかキテる!」と思うまでに。

経験上、まあそうなのです。
そんなお話も、ぼちぼちしようと思います。

はい。頑張ります、私も一緒に頑張るから。

ヒンディー語始めて9年くらいになったけど、実は歌と一緒で、なんかやっと白いスタートラインが見えてきた頃なのです。いや、もちろん喋れるのですけどね、終わりがないということ。音にも言葉にも、終わりがない。
大丈夫、そんなもの。

焦らないで、ね。

6.10.2015

ODCで短期集中文字講座

大阪は高槻市に新しく開校された、オリッシーダンサー村上幸子さんのスタジオ「ODISSI DANCE CENER」にて、デーヴァナーガリー文字の短期講座をすることになりました。


【日程】
毎週水曜日の18:45より約70分。
6月24日、7月1、8、15日 計4回の短期講座。

【各回の内容】
1回目:主に文字の仕組みと母音
2回目:子音と母音記号
3回目:結合文字や不規則な読み方
4回目:まとめ

あくまで予定です。参加される方に合わせ臨機応変に対応いたします。

【こんな方へ】
✴︎ヒンディー語を勉強したいけど文字の読み書きに自信がないので文法の前に学びたい。
✴︎マントラ詠唱やキールタンのために正しい発音を学びたい。
✴︎インドを旅行するために文字が読めるようになりたい。
✴︎ヨガのレッスンにマントラを取り入れたいというインストラクターの方。

【対象】
今回は基本ですので、超初心者の方でもご参加いただけます。

【デーヴァナーガリー文字とは】
世界の多くの文字の原型となったもの。現在でも、サンスクリット語・ヒンディー語・ネパール語などの言語に使用されています。
特にヒンディー語は、現在英語、中国語に次いで世界で3番目に多くの話者がいると言われています。

デーヴァナーガリーは、文字そのものがすでに発音記号の役目を果たしているため、一度仕組みや限られた不規則形を覚えるだけで、どんな書物も読めるようになります。
また、日本語や英語にはない特有の難解な発音がたくさん存在するインドの言葉。
この文字を覚えれば、より正確にバジャンやキールタンを歌うこと、より正確にマントラを唱えることができるようになるでしょう。
そしてそこにこそ、本当の「音」による効果が現れるとインドでは何千年も語られています。

【会費】
全4回 10,000円
一回毎 3,000円

【必要なもの】
簡単な教材はこちらで配布いたします。
ノートやペンなど、筆記用具を必ずご持参ください。

【予約・お問い合わせ】
sa@yskw.comsa@yskw.com(ODC代表 村上)
dhrupad@live.jp (講師すずきなお) ※詳しい内容等はこちらへもどうぞ

【ODCとは】
日本初!
心とカラダがワクワクドキドキするインドをまるごと学べる総合学校Odissi Dance Centre ODC 4月14日阪急総持寺駅にオープン!
http://odissi.jugem.jp/

【講師プロフィール】
日本語・英語・イタリア語・ヒンディー語のマルチリンガル。関西外国語大学外国語学部英米語学科卒。中学・高等学校教諭免許(英語科)所持。幼少より英語をはじめとする外国語に強い興味を持ち、19歳から一人旅を始める。20歳の頃イタリアへ1年間の語学留学。言葉の持つ力や現地の人により近づく喜び言葉を通して体感。21歳初渡印。2006年ベナレス在住でサンスクリット語・ベンガル語・ヒンディー語のマスターである伊藤けんいん氏より3ヶ月、毎日濃厚なヒンディー語レッスンを受ける。以降毎年渡印を重ね、現在は北インド最古の古典音楽「Dhrupad ドゥルパド」スタイルの音楽修行の傍ら、日々生きたヒンディー語を学び続けている。またこれまでのインド滞在と語学学習の経験を通し、大人になってからどのように語学を学び習得するか、インド人と対等に話すためにはどのように言葉を利用するか、文法だけではない学びの方法もシェアしている。


5.18.2015

ヒンディー語レッスン、日本から再開。


ヴァラナシからのレッスンはなかなか楽しかったのですが。
ご存知の通り帰国しています。

帰国から西伊豆、Dance of Shivaでの演奏も無事終了し、ゆっくり日本でのレッスン再開します。

日本では、レッスン中に突然お手伝いのサリー姿のお姉さんが乱入してきたり、にやにやしながらコーヒー持ってくるウエイターとかも居なくてちょっと寂しいけど、真面目な日本人のレッスンはできます笑。

新しく学びたいけどその前に一度会ってお話したいという方もいらっしゃると思うので、気軽にご連絡くださいませ♪ 



3.15.2015

ヴァラナシからナマステ

ちょっと簡易ですけど、ヴァラナシでもしつこい感じでホワイトボード使用中。
黒板とかやっぱり萌えそうだからちょっと、お買い物に行きたい。

やっぱりヒンディー語のレッスン、楽しい。てゆうかインドの話はいつもくだらなすぎて笑えます。インドの深い宗教哲学の世界とそれをすっぽり包み込んでしまった現代のインドは、大いなる矛盾を抱えたまま後ろを振り返ることもなくひた進んでおります!

あとね、言葉を勉強しようとするのって、それだけでその国への愛とか感じるので、嬉しいです。


ボードに「心配しないでください。」と私書いたのですけど、なんでその話題になったかはもう、覚えていないな〜。私はお部屋のバルコニーで、生徒のりこさんは自身のお店カウンターで、気楽な二人だけのヒンディー語の時間でした。

次回はもすこしまともな写真で頑張ります。

1.05.2015

言葉と出会ういろいろと、ご挨拶

ヒンディー語のレッスン、しています。

これからもインドと関わっていくために、言葉を学びたいという人が少しずつ集まってきました。想いはそれぞれですが、学ぼうとする人に共通の「その国と付き合っていくと決めた覚悟」はとても清々しくて素敵。
大人になってから言葉を習得するため、想い以外に必要なものなんてないじゃないのっていつも思います。脳みそはもう子供のように柔軟ではないから、単語一つ覚えるのだってある程度気持ちがないとできないものです。


わたしは小さい頃から言語が大好きです。
システマティックでどの国にも共通のユーモアがあって、人間所詮同じ思考回路を持つ生き物じゃないのって、いろんな国の文法を通して知りました。
みんなと同じように小さい頃から学び始めた英語は付き合いも長く、物心ついたときからドライブ中に聴かされていた父親の好きな音楽が、私の耳と舌の筋肉を育ててのだと思います。子供はこうやって、言葉を学ぶのですね。これは大人にもとても大事。





イタリア語は、ちょっと運命的でミーハーな理由と二十歳という若さにそれなりの情熱がスイスイ言葉を学ばせ、今でも車を運転したり妄想が膨らむとこの言葉で独り言を言います。当時やたらと流行っていた「髪の毛くるくる」みたいな意味のCAPAREZZAという人の歌は、ご飯を作りながらたまに口ずさみます。
二十歳の小さい日本人の女の子が歌う歌ではなかったなと思うけど…、自虐的なユーモアのセンスには心が動きます。


そのあと、ひとりでインドをふらふらしていたらヒンディー語に出会いました。
やっぱり運命的な出会いでした。

初めて言葉を水のように美しいと思い、文字を見て萌えるという体験をしました。
これ犬みたい、これポットみたいな形した鼻!とか適当に妄想しながら文字を覚え、
あの不思議なインド人から繰り出される美しくて可愛い音の数々に、インドという国の美意識みたいなものを発見したのだと思います。

ヒンディー語の習得は、他の言葉よりずっと気楽です。
話す機会を作ろうとしなくても、面倒なくらいに周りのインド人はみんな先生になってくれる。勉強が進むと、いやそれ全然違うし間違ってるし!ということはたくさんありましたが、今は彼らがその場で普段使っている日常の言葉が何より正解だと思っています。

それくらい、インドの言語は多様化していてかなりフレキシブル。
ヴァラナシではガートごとに方言があると揶揄されるくらい、そんなとこに英語を混ぜていいの?とか、そんな風に文法崩してもいいの? そんな語尾変化?ということばかり。インドの言葉は、特に英語と混ざって常に変化を続けています。

だからこそ、ヒンディー語はどこに行っても便利。
特に北インドでは、人種が違ってもどんなに小さな村でも田舎でも、たいていの人はテレビや映画を見てヒンディー語に慣れ親しんで育ちます。

ローカルな生活に入れば入るほど、ヒンディー語は活きてきます。女性との会話、おばあちゃんとの会話、インドの師匠との深い深い音の会話。

言葉の壁がないと知った時のインド人の晴れるような表情は、他の国ではあまり見たことがありません。素直なインド人だからこそその想いはよく見え、ほんとに幸せな気持ちになります。そして同じように、ただ伝えたい言葉を私のヒンディー語で伝える。それがインドでは正解になります。

間違いなんて気にしなくて良い。正しいと言われるヒンディー語の文法なんて、所詮ガンディージーの時代に改めて体系づけられたような若い若い言語なのです。

文法を理解するのはほんとは難しいことではありません。
ほんとに難しいのは、その後その文法を使ってあなたが何を伝えたいのか、何を誰と話したいのか、これを伝えるためにはどんな風に単語を操ればいいのか、それを知ること、そしてそれを考えることのほうがずっと大切。
そのためにヒンディー語を使うのですよ♪


最近、ヒンディー語を学びたいという方が多いことにとても驚きました。
まだまだこれから飛躍する不思議の国インドの言葉。
ちょっとした言語オタクのわたしが、大人になってからの言葉の勉強の仕方、インド人にはなかなか答えられない微妙な文法の仕組みなど、伝授できると嬉しいです。

おまけ

庶民と大げんかをしている修行中の、サドゥー。
と野次馬。
とそれを止めるおじさん。


偉大なる矛盾を抱えた愛しの国インドとともに、愛をこめて。
鈴木なお